7月某日、映画を観ました。
【花よりなほ】
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MOVIX 昭島
表通りから外れたラーメン屋になんとなく入って食べたら、
めちゃめちゃ好みの味ですっごく美味しかった、
ようなとっても好みの作品だ。
映画好きの中にも邦画は嫌いで観ないという人がいる。
全くもって損している。
ハリウッド映画によくある銃撃もカーチェイスも美女の水着姿もない。
でもそんな薄っぺらな映画より確かな衝撃を与えてくる作品が邦画にはある。
また親近感というのが全く違ってくる。
洋画が好きで役者やその国の文化を網羅している人ならいざ知らず、
そういった事に疎いので、外国人の顔はほとんど同じに見える。
日本人、韓国人、中国人、フィリピン人の区別はつくが、
アメリカ人、カナダ人、イギリス人、イタリア人、フランス人、ドイツ人、オランダ人
なんとなーくはわからなくもない(サッカーのおかげで)が、正直全部同じだ。
InsideManも正直顔が途中一緒になってしまい、
一歩のめり込めなかった部分もある。
なんでこんな事をずらずらと書いたかというと、
邦画というか役者がぞくぞくするメンバだったというところだ。
岡田准一、宮沢りえ、古田新太、香川照之、田畑智子、平泉成、國村準、でもって、上島竜平、千原靖史、木村祐一
ね、これで楽しくならないわけがないっていうメンバでしょ。
名前だけじゃわからなければ、googleって見てください。
どこかで見た顔だと思います。
こんな面々で、時は犬公方徳川綱吉の時代、場所は貧乏長屋、
モチーフは赤穂浪士ではないが敵討ち、されど主人公はめっぽう弱い情けない侍
ときたら、面白くならないわけがない。
どんな話しかというと、
父の仇を追い江戸に上京し貧乏長屋に住む若侍。
名誉回復と父の無念を晴らすのは武士の天命、
故郷に錦をたてるべく早く仇討ちを見付けるべく今日も町に繰り出すが、、、。
この侍、めっぽう弱い。
弱いどころか、血を見れば吐き出すしまつ。
はなから仇なんて討てるわけがない。
その内、寺子屋なんか始めて子ども達といる方がよっぽど自分に合ってると思い始める。
でも、武士(もののふ)として産まれ育ち、江戸に来た以上は、討たなければならない。
仇討ちこそ、自分の存在証明なのだ。
また、子どもの頃から武士として情けなく、
父親から評価されてこなかった中で唯一自分に託されたものが、
この仇討ちなのだ。それを果たさないで、どうやって生きていくというのか。
そんな葛藤に揺れる中、さらに彼を悩ますのは、仇討ちの存在なのだ。
実はもう彼はとっくに仇討ちを見つけているのだ。
その仇討ちは家庭もち、まっとうに生きている。
また、彼が恋する未亡人の子どもと、仇討ちの子どもが仲良くなり、
金持ち武家の子ども達からいじめられても、
共に支えあい立ち向かっていくところを見てしまう。
彼は自分の手でその新たな家庭を壊す事が出来ないのだ。
そして、ふとしたきっかけで、
恋心抱く未亡人も亡き夫の仇を持つ身だという事を知る。
この知るきっかけになるエピソードが泣ける。
未亡人は子どもに父親は旅に出ていると言っている。
子どもは未亡人の前ではそれを信じているふりをしている。
でも、子どもは父親がもう死んでいる事を悟っている。
子どもは父親の顔知らない。
でも、母親が自分が寝静まったところを見計らって、
夜な夜なある似顔絵を見ては泣いている事を子どもは知っている。
その似顔絵を、主人公に自分の父親だと言って見せるのだ。
その絵こそ、未亡人の憎き相手の顔、仇討ちの似顔絵なのだ。
子は屈託もない笑顔で「父上はりりしい顔でしょ」と聞く。
主人公はうなづくばかり。
そんな事を知った後、未亡人が呟いた一言に主人公は胸を詰まらせる。
「お父上の人生が宗左さん(主人公)に残したものが憎しみだけだとしたら、寂しすぎます、、、」
この言葉は、彼に向けたものだ、でもそれは、彼女自身に向けた言葉でもあるのだ。
仇討ちだけが人生じゃない、そう思い始めた矢先、
長屋がつぶされるという話しになる。
そこで彼は、、、。
ざっと流れはこうだ。
ただ、これは主になるエピソードだけを書いただけで、
ここには書かないが、とっても『とんち』が効いた話しがごろごろ入り、
さっきあげた役者がとってもいい演技をしてくれる。
全部書いたら2時間分のストーリーを書かなきゃいけないので避けるが、
中でもしびれたものを2つ。
赤穂浪士の話しも、平行してからんでくるのだが、
主人公とは全く関係なく、起こる事など全くわかっていない。
あの事件が起こる前に、長屋仲間の一人に「集団で襲ったり、寝込みを狙ったら?」と言われ、
「寝込みで襲う?仇討ちは武士として本望。そんな卑怯な手は使えない。
ましてや、集団でなんて、武士の風上にも置けない!」
大声を出して笑ってしまった。
年末にはこぞってTVで放映され、日本人なら一度は涙した
あの「赤穂浪士」を『卑怯で武士の風上に置けない』と切って捨てるのだ。
確かに、たった老人一人を殺しに集団で雪振る深夜、音も立てずに近づき
寝込みを襲うのだ、しかも何年もそんな事しませんよーって顔をしてだました上にだ。
なんて卑怯な奴らなんだろうか(爆笑)
もう一つのエピソードは、『糞を餅に変える』だ。
江戸時代の街は塵ゴミ屋という、今で言うリサイクル屋がいるほど、
エコな時代で、人糞も同様に畑の肥料として再利用されていた。
貧乏長屋は同然共同便所で、そこで集まった糞を農家に売って大家は稼いでいた。
正月になると大家から褒美という事で農家に売った金の一部で餅を買って、
長屋に振舞うというのが、習慣としてあったようだ。
『糞を餅に変える』字のごとく、その通りの意味だ。
そして、復讐とかそういう、糞を餅に変えていこうよ、
っていうのがこの映画で言いたい事なんではないかと思う。
パンフレットには、監督からの一言としてこんな事が書かれていた。
『この映画、弱かった人が努力して強くなる―
といった”成長映画”の類ではないんです。
”弱いもの”が弱いまま肯定されるというか…
周囲の人たちとの関係の中で、その”弱さ”の意味が変わっていく、
そんな”変化”の映画だと、自分では思っています。
その変化が連鎖していくことで、少しだけ世界が優しくなる。
そんな「世界」が描かれれば幸いです。』
そう、ぼくはこの映画を観終わり席を立つ時、
とても幸せな気持ちになっていた。
THE有頂天ホテルといい、僕はこういった類の映画が好きなんだなーと、
改めて思い知らされるわけでした。
最後に、この映画には3人の女性が出てくる。
白百合のごとき宮沢りえ、
艶やかな牡丹の夏川結衣、
土臭いたんぽぽの田端智子
僕の好みが誰なのかは言わずともながであり、
そう言った意味でも改めて自分の好みを知る映画だった事を
書いて感想を終わりにしたいと思う。
また、幕が閉まったらお会いしましょう。
〜物語の始まりは、日常の終わり
物語の終わりは、日常の始まり〜